ヴィーガンの矛盾点

今回はヴィーガンの主張の矛盾について書いていこうと思います。とは言っても、食べるために命を奪ってしまう事に対して罪悪感を覚えること自体は、決して悪いことではありません。しかし、その先が問題なのです

ヴィーガンの方々は、人間が他生物から搾取しないために菜食主義の生活をすると言っています。これ自体が矛盾です。植物も細胞構造と代謝を持ち、成長と増殖を行うれっきとした生物です。植物だって殺されそうになればその細胞内ではそれに抵抗する反応が起こります

植物の動物との違いは、その抵抗する反応が人間に共感できる「痛み」という形を取っていないだけに過ぎません。つまりこれは、人間が共感できるかどうかという、完全に人間のエゴなのです。人間による他の生物への搾取を非難しつつ、搾取と見なすかどうかの基準がガッツリ人間のエゴになっている思想。矛盾していると思いませんか?

ただ、もちろん他の生物に苦痛を与えて続けながらこれからもずっと生きていくなんて納得がいきませんよね。だからそのために今、培養肉の製造を研究している人たちがいるのです。これが実用化すれば、少なくとも屠殺という痛みの伴う行為はなくせます

ただし、この培養肉も結局、最初に私が指摘した「動物と植物の違い」と同じ理屈の矛盾を抱えており、これを解決しておりません。だからこれを解決したいなら、最終的には分子一つ一つからあらゆる物体を組み上げられる「分子プリンター」のような技術を開発し、それを使ってプリントアウトされた食品を食べるようになれば良いのです

もちろんこれはずっと先の未来の話です。しかし、その未来に向かって今人間は様々な研究して科学技術を発展させています。科学は決して、自然に危害を加えるためにあるものではありません。科学技術はあくまでも、人間の求めるものを実現するためにあるのです

ほとんどの人は、他者に危害を加える事自体を求めてはいませんよね? 現に多くの人間が「殺さずに済むのなら殺さない方がいい」という価値観を持っている以上、科学はいつか必ず何者の命も奪わずに今私たちが食べているものと何の遜色もない食品を作る技術を完成させるはずです。つまり、生物を一切殺さなくて良い時代に近づくための努力を、人間という生き物はしっかりやっているのです

だからもしこれまで食べてきた動物に対して罪悪感を覚え、何か行動を起こしたいのなら、すべきことは「肉を食べるな」と叫ぶ事ではありません。科学技術の発展のために自分ができることをするのが、最大の贖罪になるのです。皆が肉に食べない事で労働意欲と生産能力が落ちて、科学技術の発展が鈍化してしまったら元も子もありません

もちろん、ヴィーガンの人があくまでも個人的に肉を食べない生活をするのならそれは自由です。しかし、肉を食べる人を非難するというのは違います。冒頭で述べたようにその正義が矛盾を抱えている上「他の生物を殺さずに住む時代」への道のりを考えた上でも効率的な判断ではないため、お世話にも人に要求できるような正当性を持った主張とは言い難いのです

今食べて、その分時代を進めることに少しでも貢献する。そういったところで妥協する事が、長い目で見たら最も主張に正当性のある最善の判断なのではないでしょうか?

ちなみに、これと良く似た理屈を経た後に真逆の結論となるものに、私も賛同する「反出生主義」があります。反出生主義の提唱する最善の選択肢は「子供を産まない事」。妥協案とあげられるのが「生まれた子供が一切苦しまない世の中をつくる事(それが完成するまでの間の世代は妥協の犠牲になる)」

子供を残さないという選択肢を個人として取ることの難易度は、決して高くはありません。よって、私は反出生主義を個人に向けて語る場合は妥協案が最善ではないと明確に言うようにしています

一方ヴィーガン、というより「食事に際して他の生物の命を奪わないための思想」における妥協しない選択肢とは何でしょうか? これは、何も食べずに自害する事です。この選択肢は難易度が高すぎる上に、これを最善として人に要求すれば、他者に苦痛を与える事が悪であるという、この思想の根源にあるものと大きく矛盾してしまいます。よって、私はこの思想においては妥協案こそが最善であると結論つけるわけです

もっとも、最初に述べた通り、肉ではなく植物を食べているからセーフ、なんて考えるのは論外です。野菜を食べても肉を食べても結局倫理的には同じなので、どうせ食べるのならばより自分が好みのものを食べてモチベーションに繋げ、時代を先に進める事に貢献しましょう

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