子供がやりたがる事はやらせましょう

今回は教育について書いていきます。内容はタイトル通り、子供がやりたがる事は極力やらせていった方がいいという話です

子供が何か危ない事をやりたいと言った時、多くの親はダメだと言うでしょう。これが子供の身の安全を思っての発言である事は大人の目には明らかですが、子供にとってそれは「自分の好奇心と思考を否定された経験」となってしまいます

そしてこれが繰り返されると、自分がやりたい事を自分で考えてやる事が悪い事であるかのように感じる心理が刷り込まれてまれてしまいます。困ったことに、小さい頃からの刷り込みの効力は非常に強く、なかなか消えません。結果、この刷り込みは大人になってからの行動に大きく影響してしまいます

実際、趣味の時間に後ろめたさを持っていたり、好きなことをする人に否定的な発言をする人をよく見かけますよね。心当たりがある人は多いのではないでしょうか?

ちなみに、子供がやりたい事をやるなと言われた場合の反応はハッキリと二つに分かれます。「素直にやめる」か「こっそりやる」かです。私が見てきた限りでは、前者が八割、後者が二割といったところでしょうか

まず前者の子供についてですが、このぱっと見て利口に見えるこの子供の将来は真っ暗です。好奇心と思考を叩き潰されてしまっているため、指示待ち人間になってしまうのです。それも、面倒だから指示されたことしかしないというタイプの指示待ち人間ではありません。指示されていないことをしたら怒られそうで怖いからやらない、というタイプの指示待ち人間です

面倒くさがりの人であれば、いかにして面倒事を回避するかを無意識のうちに考え続けるため、職場においては割と有能です。一方、説教に怯えて動かない人は恐怖によって思考が停止しているため、典型的な無能として扱われてしまいます。就職してからの数年間、この状態となっていたがために苦労した人も多いのではないでしょうか?

次に、後者のこっそりやる子供ですが、こちらは非常に複雑です。好奇心は死んでいないため、前者のようにはなりせん。しかし、何しろ親に背いてこっそりやるため、後ろめたさが付き纏ってしまいます

また、子供であるがゆえに嘘が下手でバレることも頻繁に起こり、これによって、周囲の大人から「嘘をつく悪い子供」として扱われるようになってしまいます

このような子供はいずれ「やりたい事をやらなかったパラレルワールド」について考えるようになり、そのような人生は圧倒的につまらない事や、自分の人生を有意義なものにする上で親の指示が間違っていた事に気付きます。これが反抗期と重なると親への怒りが爆発してしまい、場合によっては過激な行動に走ってしまいます

これは暴走族がいい例です。道路交通法さえ守れば変わったカスタムでツーリングする楽しそうな人たちで済むのに、彼らはなぜか、わざわざ過度な車線変更で他の車の進路を妨害したり、交差点でぐるぐる回ったりしますよね。「何をしたいのかわからない」と思う人は多いでしょう

これは親を含めた「大人全体」への怒りの表現なのです。いつかバイクに乗りたいという子供に対して、バイクの事故率の多さなどから「大人になっても絶対に乗るな、免許も取るな」等と言ってしまう親をよく見かけます。これももちろん、親としては子供に事故で死んで欲しくないからかけた言葉なのでしょう。しかし、やはり子供からしてみれば「自分の興味を否定された」ということになってしまいます

そんな中、バイクへの憧れを諦めきれずに先輩や知り合いのバイクをこっそり乗らせてもらっていたような子供に、先ほどの「気付き」が起こったらどうなるでしょうか? 

無免許であることの後ろめたさとは別の、親の命令に背いたことへの後ろめたさに関しては、完全に無意味なものだったことになってしまいます。これまでの自分は、必ずしも正しい判断ができるわけではない存在から絶対的な指示を受け、それを真に受けることで後ろめたさを感じていたのだと気付いてしまうわけです

十代の子供にとって、この「親が完璧ではないくせに完璧を装っていた」という事実を受け入れることは激しい怒りが伴ういます。それによって後ろめたさを覚えさせられていたのであればなおさらです。そしてその怒りはいずれ、そのような親を一般的な存在にした社会全体へと向けられることになるでしょう

「大人どもが言う、俺らの間違った価値観とやらを、世の中に蔓延させてやるぜ!」というのが、暴走族が暴走行為に走るきっかけとなる心理なのです

もちろんそんなことをしても自分達の主張が通るははずもありません。余計に肩身が狭くなるだけでしょう。しかし、暴走族になる子達の年齢を考えると、このような短絡的な発想になるのは仕方がないことでもあります

また、暴走族以外の例を出すならば、一昔前のオタクが挙げられます。今でこそオタク文化は一般的なものとなりましたが、ほんの数年前までオタクは社会から酷く虐げられていました。年配の方であれば、親に文句を言われないために、箪笥等に細工をして漫画や円盤を隠したのが少年時代の思い出という方も多いのではないでしょうか

それに今でも「卑屈なオタク」は一定数いますよね。恐らくこの酷い時代を経験してしまった方々なのでしょう。暴走族は道路で暴れますが、一昔前のオタクはネットで暴れていました。両者とも、周りから怖がられつつも同族に対しては義理堅い傾向があります。対極的に扱われる二者ですが、実はかなり共通点が多いです。これは紛れもなく、同じ条件によって発生しているからでしょう

暴走族や卑屈になってしまったオタクは、好奇心だけはしっかり残っているため、何かしらの成功を修めるポテンシャルは持っています。しかし、それ以前にとんでもない問題を起こして、人生を潰してしまう可能性があります。好奇心を潰された人に関しては、もう言うまでもありません。要は、子供のやりたいことを否定すると、どう転んでもその子供の人生が茨の道になってしまうわけです

だからこそ、子供がやりたがることは出来る限りさせてあげましょう。それが危ないことだった場合は、親が最大限に安全を確保して見守れば良いのです

例えばそれこそ、子供が火で遊びたいと言ったとしても、それができる場を設けてあげたほうが良いでしょう。もしかしたら子供が、その経験をきっかけにしてプラズマ工学の学者や花火職人になるかもしれないじゃないですか

少なくとも私が教育のボランティアで見た限りでは、子供には皆エジソンのようになる素質が備わっています。これを言うと、エジソンはADHDだったから、等と言う人が出てきますが、それだけが発明の源ではありません。確かにADHDは思考の開放性が高くて有利な面がありますが、結局最終的に必要なのは好奇心です。子供の好奇心には底がないのです

この子供たちがそのまま育てば、それこそ科学技術がめまぐるしく発展する素晴らしい時代が訪れるはずです。しかし、実際にはそうなっていませんね。親が子供の好奇心を殺しているからです

だからこそ、今小さな子供を育てている親には、出来る限りその好奇心を温存したまま大人になれるように育ててほしいのです

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