うちわは無駄なのか?

突飛なタイトルで驚いたでしょう。これは私が、不意に昔のことを思い出して書くことにした記事です

私が小学五年生だった頃、クラスにある女の子が転入してきました。その子はアメリカからの帰国子女で、私たちの常識とは少し違う考え方を持っていました

その子がある夏の日、教室の隅でうちわを扇いでいる私にこんなことを言ったのです。
「うちわって、無駄なんだよ」
彼女曰く、うちわで扇いでも手首が発熱するから結局意味がないのだとか。当時の私は、確かにそうだな、と思いつつも違和感を覚えました

特にオチもなく何の変哲もない出来事なのですが、私の中ではしばらくの間、この話が非常に強く印象に残っていました。最近、不意にこのことを思い出したので、今回は本当にうちわで扇ぐことが無駄なのか、今の私の知識で検証していこうと思います

・エネルギー保存の法則
これは、簡単に言うと外部からのエネルギーの影響を受けない仕組みでは内部のエネルギーの総量は変わらないというものです。彼女の考え方はこの法則に近いものです(厳密には違うのですが)

よく、永久機関が作れない理由の説明なんかに使われる法則です。たとえば、重力による落下で加速しその加速で坂を登り再び落ちるという装置を作ったとしても、重力による加速で生じるエネルギーと坂を登るのに使われるエネルギーは同量であるため、エネルギーの総数は増えていません。せのため、そこから外部に力を供給すればいずれ止まってしまいます

これと似ていて彼女の理論は「うちわで扇いで顔や肩の熱を取り除いても、うちわを扇ぐために使った筋肉の発熱量は取り除かれた熱量と同じだから意味がない」ということになります。なるほど、非常に納得しやすい理論です

・本当に外部エネルギーの影響はない?
しかし、ここで引っかかるのは空気の性質についてです。うちわで扇いだり息を吹いたりして空気の流れを作ると、周りの空気がそこについていきます。この、周りからついてきた空気に感しては、外部エネルギーと呼べるのではないでしょうか? それとも、その空気を巻き込んだ力も内部エネルギーの内なのでしょうか。ここは私の勉強不足です。もし専門的知識をお持ちの方がいらっしゃいましたら、コメントして下さい

・そもそも「熱の総量」を下げることが目的なのか?
普通、うちわを扇ぐ人は全身の体温を下げることが目的だと思っています。しかし、その認識がそもそも間違っているのではないかということです。
例えば、手首や足先などの末端組織は比較的暑さに耐性がある組織です。しかし、頭や胴体はどうでしょう?頭が暑ければものを考えられませんし、胴体が暑ければ消化器官の活動に支障がでます。もしかすると、うちわを扇ぐことの真の目的は熱を熱に弱い組織から熱に強い組織へと移動させることなのかもしれません
この考え方を閃いたのは、庭のサボテンを見た時です。サボテンのイボやヒダは、自らの体に影を作るためにあると聞いたことがあります。しかし、そんなことをしたところで自分が太陽から受け取る熱光線の総量は減りません。にも関わらずそのような形態をとるのは、熱光線の総量を減らすことが目的ではないからでしょう

ということで、不意に脳裏に浮かび上がった思い出の会話に対する考察をまとめました。私が彼女に反論しているしているような内容となりましたが、別に彼女のことが嫌いだったわけではありません。むしろ優しくて綺麗で、自分の意見をハッキリと持っている彼女に、当時の私は憧れていました。今でも恥ずかしながら、今彼女がどうしているのか少し気になる時があります。まぁ、彼女にとって私はただの同級生。私のことなんて、とっくに忘れているのだと思います。万が一覚えていても、当時の私はどうしようもない問題児だったので、良くは覚えていないでしょう

ちなみに、ここまで書いた私はある重大な問題に気がつきました「季  節  外 れ」   なぜ私はこんな記事を寒くなりつつある季節に書き始めたのでしょう、、、

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