「世界は朝から始まったのか」を考察する
「世界は朝から始まったのか」このとても詩的な質問、どこかで聞いたことあるのではないでしょうか。この質問はNHKのラジオ番組「夏休み子ども科学電話相談」にて小学生の女の子がしたものです
解説員はこの質問に対して「朝の時間は場所によって違うから答えは出せない」と答えました。なんと、、、ここでロマン立ち消えです、、、 そのことは解説員の方も分かっていたようで「難しい質問だね」コメントしています。ロマンを生かすことが難しかったのです
この質問が出た場所が「子ども科学電話相談」だったことが災難でした。本来なら、このような詩的な質問は科学で答えるべきでは無いからです。ロマンを殺さない為には、文学や宗教学の観点から答える必要があったのだと私は思います
ということで、今回は私が「世界は朝から始まったのか」に対する宗教学的な見解と文学的な見解を書き連ねていこうと思います
まず宗教学的な見解ですが、ギリシャ神話では神が天地創造をした後に「光あれ」と言ったことにより光が生まれたとなっています。光が生まれるより前に世界が生まれていたということです。つまり、ギリシャ神話では世界は夜から始まったことになっています。この記述はキリスト教やユダヤ教で使われる旧約聖書でも同じです
これで済ませると某友人から「君は日本人なのになぜ西洋の神話を基準に考えるのか」と言われてしまうので、日本神話にも触れてみましょう。日本神話では天照大神が太陽神とされています。天照大神は伊耶那岐の子供である為、伊耶那岐と伊邪那美が日本列島を作る話やそれ以前に天照大神はいませんでした。天照大神が生まれるまで世界が真っ暗だったか、ということについての詳しい記述はない為断言はできませんが、日本神話においても世界は夜から始まったという可能性が非常に高いと言えます
また、一番初めの神が生まれる前については「大地と天が混ざった混沌とした空間だった」との記述があります。これが非常に夜的な表現だと感じるのは私だけでしょうか?
結局、ギリシャ神話と日本神話では、世界が夜から始まったという結論に辿り着きました。私は少し悲しいです。これは完全に私のエゴですが、無邪気な子供に対しては「世界は朝から始まったんだよ」と答えてあげたかったのです。だって、世界が夜から始まっただなんて、なんだか暗くて嫌じゃないですか!
光には光源が要る。闇は何もなくたって作れる。だから何もなかった世界の始まりは闇、、、科学的な見解に戻ってしまいました。よく考えてみれば当たり前です。宗教は非科学的と言われますが、それでもその宗教が誕生した当時なら最新となる科学的知識を使って作られています。宗教は、本来なら科学に基づくものなのです
でも!それでも、私は「世界は朝から始まった」と答えたいのです。だから「文学的な見解」には私なりのバイアスをかけていこうと思います
そもそも光って何でしょうか。光を感じ取れる存在って、何でしょうか。それは、私たちですよね?私たちのように、主観と意識を持つ者だけが、光を感じ取ることができるのです。もしあなたがそこに光があると感じれば、あなたの世界で、そこに光は必ずあるのです
故に、あなたが「世界は朝から始まった」と思えば、あなたの世界では世界が朝から始まったことになります。結局、世界を認識する頭の数だけ世界があるのです
結論:世界は朝から始まった!(に持っていきたい)
結局、最後は私の屁理屈になってしまいましたが、世界が朝から始まったことにしたい気持ちは分かっていただけると思います。だから強引だったことを許してほしいです(厚顔無恥)
ちなみに、私の誕生時刻を親に聞いて調べてもらったところ、午前二時四八分でした。私の人生は、思いっきりの深夜から始まっていたのですね、、、何とも悲しい、、、
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