「つまらない」の語源
よく私の記事を読んで下さっている方なら、どうしていきなりこんな記事を投稿したのかと驚くでしょう。申し訳ございません。ただのネタ切れです
元々、写真や日常についての記事を上げるために立ち上げたブログでしたが、私の生活で記事にして人が読みたくなる出来事というのは、非常に限られているのです
撮り溜めた写真などを使って記事を書いていましたが、とうとうそれも底をつき始めました
そのため、これからは豆知識系の記事も投稿したいと思います。というのも、かつて私は「豆知識狂」と言われたくらい豆知識集めにハマっていました。というか、今もハマっています。不意に気になったことができると、調べなければ気が済まないのです。ということで、私の手元にある豆知識の中から、特に面白いものを記事にしていこうと思います
さて、ここからようやく本題に入ります。「つまらないの語源」ですが、ほとんどの人が一度はこう考えたことがあるでしょう。「つまらない」が面白くないの意味なら「つまる」は面白いということなのか。実はこれ、半分正解なのです
そもそも「つまる」というのはそこで終わりということ。今はあまり使わないかもしれませんが、思考において、それ以上考える必要がなく思考が終わった状態、すなわち納得した状態もかつては「つまる」と言いました。「つまり」とか「つまるところ」といった接続詞はこれに由来します
そして納得できない状態を「つまらない」といったのです。ここで多くの人は「納得できない」と「面白くない」がどうして繋がるのかと疑問を抱いたと思います
それについては、こう考えて下さい。まず、誰でも一度はつまらない小説や記事を読んだことがあると思います。そういったものがなぜつまらないのかと言ったら、終始理解できないことや納得できないことが書き連ねられており、その状態で終わってしまうからでしょう。「納得できない」は「つまらない」なのです
今はお笑いなどの「笑える」という意味で面白いはずのものが面白くなかった場合に「つまらない」ということが多いですが、かつてそういったものより書物の方が身近でした。読み応えのある学術書は「面白い」 間違いばかりの学術書は「つまらない」 心が動く小説は「面白い」 世界観に入り込めない小説は「つまらない」
「面白い」の主な使われ方が「笑える」ということになったため「つまらない」も「笑えない」という意味になったのです
さて、これ以上長々と語ると私の記事がつまらなくなってしまうので、今日はここまでとさせていただきます。え?既につまらないって?それは、、、(黒縁は逃げ去った)
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