安易に物語など書いてはならない

今回の記事は、恐らく多くの人には理解してもらえないでしょう。私の思考の、人によっては闇深いと感じるような部分についての話となります。また、アマチュアが聞き齧った中途半端な知識を基に理屈を組み立てた部分があるため、プロの学者の方が見たら痛々しく感じるもしれません。そういった部分を踏まえて読んでいただけたらありがたいです。そして、あわよくば共感していただけたら光栄です

一昔前まで、私はよく小説を書いていました。そしてある時、登場人物のうちの何人が勝手に動き、物語の形が変わるというのを体験します。これは長く小説を書いてきた人にはよくある事らしく、創作仲間達はこれを良いことだと言いました。しかし、私はここに納得がいきません。自分の頭の中に、自分の意思から独立して動く存在があるわけです。恐ろしくて仕方がないし、どういう仕組みなのか気になります

私は、大雑把にすら仕組みが分からないものを使う事に恐怖を覚えます。そのため、小説を書く事も、登場人物が勝手に動く謎を解明できるまでお預けとなりました

とはいえ、これは現実として私の頭の中で起きている現象なので、特に何か調べることもできません。ただひたすら、自分を見つめて考えるしかないのです

まず真っ先に考えたことは、自分の内側に、勝手に動く存在があるというのは、妊娠した人の話によく似ているということです。だとすると、私は小説など書いてはいけない事になります。なぜなら私が、反出生主義という思想を根底に敷いて生きているからです

反出生主義というのは、誰も初めから生まれてこないに越したことはないという思想です。人間の感情の発達はまず不快感を訴えて親に助けてもらうことから始まると言います。だとすれば、全ての感情の始まりは不快感であり、その一生の合計は必ず不幸に傾くと言えるのではないでしょうか? そう考えたら、とてもこの世界に生まれてくることが賢明な選択肢だとは思えません。そして、その選択肢を一方的に子供に叩きつける親という存在、、、身勝手にも程があるということです

しかし、小説を書くのが出産と同じなら、私は自分が身勝手と評価した存在と同じことになるわけです。ひょんなことから始まった思考が、いつの間にか私の執筆活動の継続可否を決めることとなってしまい、私は憔悴しながら脳を燃やす勢いで思考をフル回転させることになりました

そして、結局私は、私の作った登場人物や世界そのもの実在することになったから動くのであるという、「出産と同じ」よりも更に重い結論を出しました

物質の存在とは何でしょうか? 物質はエネルギーだといいます。そしてそのエネルギーは、波なのだそうです。波が物質の形を取るか、電磁波の形を取るか、ただの振動となるかは、波の細かさと数の違いに過ぎないと私は聞きました

しかし、これはあくまでも、私たちの視点に過ぎないわけです。とすると、私たちの視点では物質として振る舞わないエネルギーが物質的に振る舞う視点や次元というのが存在してもおかしくないと言えませんか?

そしてこの、私たちとは違う次元に存在する物質的な存在に私たちの思考が影響するというのはあり得ないでしょうか? 次元の違いというのは視点の違いに過ぎず、実際には同じ世界の同じエネルギーを共有しているのだとすれば大いにあり得る話です

だとすれば、物語や人物を頭の中で作るというのは、その違う次元に新たな存在を作り出す行為となり得るのではないでしょうか。これが正しければ「出産と同じ」以上に最悪な結論です。小説を書くという行為に対し、無責任に生み出した別次元に実在する人物を使い、作者のマッチポンプで苦難を与えり乗り越えさせたりするものと定義する結果だからです

もしかしたら私も、別次元の小説家によって書かれた人物なのかもしれません。だとしたら、私はこの小説の作者を憎みます。私がここまで生きてきた中で、どれだけ辛い出来事があったことか。それらが全て、誰かの作品を彩るためだけに作られたものだったとしたら? 許せないじゃないですか。だからこそ、私はこれ以上そんな蛮行はできないわけです

もう既に、書いたり頭に思い描いたりしてしまった小説に関しては、どうしようもありません。何か贖罪の方法が欲しいものですが、今のところ見つかっておりません。しかし、もう二度と、新たな人物を作り出さないと決めることなら、可能です。これが私にできる最大の、マシな選択です

現在、私は体験談を基にした小説以外書かなくなりました。小説が別次元の物質になる仮説が正しければ、私が生きるだけで別次元に私のような何かが存在することは明らかなので、今私が小説を書く時はそれをいじります。もう決して、一から人物像を作るということはありません

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